“あなた優しいね”と言われたら、どんな気持ちになりますか。
その状況によって、その意味は大きく変わることもあります。
例えば感動したり、感謝したり、褒めたかったりプラスな場合も使いますし、逆にお人好しというニュアンスで、少し小馬鹿にしたような見下すようなマイナスな使い方をすることもあるかもしれません。
ある日娘が言いました。
「優しいよねー、って言われるの嫌い。」
彼女は、“優しいよね”と言葉をかけてもらうことが度々あるそうですが、最近学校の活動をしているときに、またそう言われることがあったようです。
それは、学校のある先生に以前からご相談させて頂いていた学校の設備の改善点について、進捗状況を伺っていたところでした。先生は、
「今、あなたが頑張って、例え結果が出せても、それが反映されるのはあなた達がいなくなった後だから、その成果の恩恵は受けられないんだよ?」
とおっしゃって、…娘は目を丸くしました。
なぜって、自分がその恩恵を受けたくて活動しているわけではないのです。今だけが良くなれば良いのではなく、これから先、悪いところは良くなっていって欲しいと思っています。そして周りにいた友人たちは、
「自分のことじゃないのにほんとに、優しいよねー!」
と言いました。
おそらく、距離をおかれたような、他人事のような、その言葉で物事を終わりにされてしまうような、そんな軽い言葉に彼女は感じたのでしょう。
その時の“優しい”という言葉は、便利で、大雑把で、都合の良い言葉に彼女には感じられたのかもしれません。
もちろん、友人たちはそんなつもりではなく、良い言葉として言ってくれたのだと思います。娘を傷つけるつもりなど、全くもってありません。当然、娘もそれはよくよく理解しています。
娘は、優しさで学校を良くしようとしているのではありません。
彼女の使命感と、皆が毎日過ごす学校を良くしたいという強い信念を持って、学校の活動に取り組んでいます。それは、優しさではなく、自分自身の信念です。学校を良くしたいという気持ちを貫きたいのです。
いつか誰かがやるから、と周りが言ったとしてもそれならば、今、私がやればいいのではないかと彼女は思っているのです。
いつかって、いつ?誰かって誰?
そんな余計なことを考えているのなら、自分に出来ることならば自分がやればいい。という考えです。
ですから、“優しい”と言われることは違和感で、そんなにざっくりとした大きなカテゴリの言葉をあてられるのは不本意なのでしょう。
ネットで“優しい”の意味を調べてみると、良い意味の解説が多く出てきましたが、
どうやら一概にそうでもないようです。
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