目で見えているものより、大きな力になっている

日常

雪もすっかりなくなり、木々には優しい緑色が芽吹き、ようやく春らしい日差しが感じられるこの頃になりました。

雪解けが終わると、明るい気持ちになるはずなのに……。毎年残念な気持ちになってしまうのは、道端や川原に捨てられているたくさんのゴミたち。

どうしてこんなものまで?というゴミもあります。

そして、いつも一番多いのは、タバコのポイ捨て。大人が捨てたものです。

大人が捨てたタバコやお酒の缶やたくさんのあらゆるゴミを、子どもたちが拾っています。心底、情けなくて残念な気持ちになります。

今日も子どもたちは「なんでこんなに落ちているの!?」と言いながらゴミ拾い。ゴミ拾い用の10リットルのゴミ袋はすぐにいっぱいになりました。

帰り道、ゴミ袋がいっぱいになってしまい、拾いきれなくて残念な気持ちで公園周辺を歩いていた私達の後ろを、小さなお子様を連れたご夫婦が歩いていました。

少ししてから、後ろから聞こえてきたのはおそらく奥様の声。

「やっぱり、戻ってさ、さっきのゴミ取って来よう?」

そのご家族は戻っていきました。

あくまでも私の勝手すぎる推測ですが、そのご家族は、ゴミをうっかり忘れてきてしまって、思い出したときにはもう戻るのに遠くなってしまい、「まぁいっか。」と思っていたけど……、

前を歩いていた私達がゴミ拾いをしていたから、やっぱり戻ってでもゴミを取りに行こうと、思ってくれたのでは!?

私は、勝手に想像して嬉しくなりました。

一人の力は、ないに等しいくらい小さいもので、

いっぱいになった、ゴミ袋10リットルのゴミはこの地球の所詮ほんの一部にもならないくらいのわずかなゴミの量で、

今日きれいになった場所は、ほんの少しで。

だけど。

それは、今の私の目にうつるものだけ。

ちっぽけな一人の人間だけど、ゴミ拾いしている人を見て、考えてくれる人がいたら。それが1人、2人、3人…といたら。

そして、ゴミ拾いを何日もしたら、その人数もまた、4人、5人…と増えていって。

その中には自らゴミ拾いをはじめる方もいるかもしれない。そして、またその人を見て、ゴミについて考える人が、1人、2人…。

それは春の種まきみたい(⁠^⁠^⁠)

そうやってちっぽけな力は、自分たちの知らないところで、いつか大きな力になるかもしれない。

自分一人がやったって…と、諦めないで、子どもたちには想像力を大きく大きく膨らませてほしい。

だって、目で見えている持っているゴミ袋のゴミが頑張ったことの全ての成果ではなくて、

実際には目で見えているものより、大きな力になっているかもしれないから。

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