私の日課は、祖父母と電話で話すこと。
90歳を超え、体力も気力も弱ってきた祖父は、電話のたびにこう言います。
「早く死にたい。こんなに苦しい思いをするなら、早く死にたい」
「こんなに辛いのに、生きているのが本当に嫌だ」
「ああ、死にたいな。辛い、辛い」
その言葉を聞くのは、正直しんどいです。
けれど同時に、体力も筋力も落ち、歩くことも食べることも、何をするにもやっとの思いで過ごしている祖父にとって、
生きていることそのものが本当に辛いのだろうとも感じています。
これまでに心筋梗塞などを患い、心臓も弱っている祖父にとっては、
体の負担や苦しさが、なおさら大きいのだろうと思います。
少しでも祖父の気持ちが軽くなるならと思い、私はただ「そっかぁ…」と静かに返します。
負の言葉は、発した本人がどれだけ力なくつぶやいたものであっても、受け取る側の心には確かに重みを残します。
それでも、私は電話を切りません。
そんな毎日ですが、夕方になると話題が変わります。
学校から帰ってきた子どもたちの様子や、宿題や習い事の話をすると、祖父は必ずこう言うのです。
「自分で学んだこと、経験したことは、誰にも取られないよ。
じいちゃんみたいに何もできなくなって、何も持てなくなったって、
知識や経験は、誰にも奪われない。
死ぬときも、天国に行っても、ずっと自分のものなんだよ。」
その言葉を聞くたびに、私は静かに受け取ります。
人にとって本当の宝物は、
学んだこと、経験したこと、そしてそれに費やした時間なのだと感じます。
私は今、祖父母との電話の中から、
長く生きてきた人生の重みや言葉の深さを、静かに受け取っています。
そう思いながら、今日も電話を切りました。

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